あゆみ

伊勢教会五十年のあゆみ  京都教区時報 2000/6 No.271 掲載


 当教会は一九九八年からブライス・西村神父様が第九代担当司祭として、その任にあたっておられます。
 一九九九年教会はヨベルの年を迎えました。聖書には五十周年の祝いは、ヘブライ語で「ヨベル」といわれ、その祝い方も定められているということを西村神父様から指導を受け、共同体の総力をあげて、教会創立五十周年記念式典を行いました。大塚司教様をはじめ、ゆかりの人たちが大勢集まり、忘れられないヨベルとなりました。この五十年に至る教会のあゆみは次の通りです。

 戦後の混乱期にあった一九四八年に数名の信徒が教会設立のための祈りを捧げました。この小さな集まりが原動力になって、設立資金の積み立てや京都教区への働きかけが行われ、メリノール宣教会のご尽力が得られることになりました。その結果、一九四九年十二月八日、初代主任司祭ウォルシュ神父様のもと聖トマス小崎を守護聖人と定めて、山田教会が発足し、祝別式が行われました。当時伊勢市は宇治山田市と言われており、その名称をとって名付けられました。信徒の数はわずか二十五名でしたが、その喜びはいかばかりであったかと察せられます。

 こうして当教会は神都という特殊な環境の中、まだ物資が乏しい時代にメリノール宣教会による福音宣教活動が開始された由緒ある教会となりました。
 ウォルシュ神父様は着々と、精力的に司牧に尽力されましたので、間もなく、マリア会、ヨゼフ会、青年会と信徒の会ができ、どんどんと信徒が増え、やがてわずか二年で教会の建物が手狭になってしまいました。そこで一九五一年、現在の地に広大な土地を求め、十二月には新しい聖堂の完成をみました。それまでの畳敷きの聖堂から新しい聖堂へ御聖体をお移しし、献堂式が荘厳に執り行われました。その時の聖堂が、現在の伝道館となっています。

なつかしい旧聖堂1951~1966
〔なつかしい旧聖堂 1951~1966〕


 次いで一九五四年には教会の敷地内に、メリノール修道院が新設され、シスター・ローズアン、シスター・アグネスメリーのお二人をお迎えすることができました。
 こうして神のみ恵みは限りなく、教会は日を追って発展、整備されていきました。
 一九五五年に宇治山田市は伊勢市と改称されましたので、教会もこれに合わせて伊勢教会と改められました。
 教会が整備されていく間の信徒の活躍では愛徳会、レジオマリエが結成されて、布教や救済のための活動が精力的に行われました。また伊勢市周辺の信徒も増え、小俣町に分教会が、鳥羽市と玉城町に伝道館が設けられ、御ミサが捧げられると共に布教がすすめられました。

 信徒が増えるに従って、またまた大きな聖堂が必要となりました。共同体みんなの協力で、敷地内の小山を切り開き、聖堂の建設を始め、一九六二年六月完成、厳粛な献堂式が行われました。これが現在の聖堂となっています。この聖堂は鉄筋コンクリートと木造を組み合わせた建物で、スイスのベトレヘム修道会のフロイラー神父様が設計されました。官庁街の建物の中で、なだらかな勾配を持つ三角屋根が美しく、内部正面には一段高い祭壇があり、その上を照らすライトのサークルがとても印象的です。周囲の壁面には十字架の道行きを描いたステンドグラス十四枚が、間を置いてはめ込まれ、美しい光をたたえています。このゆったりと広く、美しい聖堂は当教会信徒の心のよりどころであり、深い祈りの場となっています。巡礼に訪ねられた方は、是非この聖堂で心ゆくまでお祈りの時をお過ごしください。

 
 歴代主任司祭とその伝道期間
  1. ウォルシュ神父 Walsh (1949-1954)
  2. カロン神父 Carron (1955-1962)
  3. ライリ神父 Reilly (1963-1966)
  4. キャーフリ神父 Caffrey (1967-1971)
  5. ツーシェット神父 Touchette (1972-1975)
  6. ブルドニアク神父 Brodniak (1976-1979)
  7. エグルストン神父 Eggleston (1980-1981)
  8. ガブリエル神父 Gabriel (1981-1982)
  9. ザーン神父 Zahn (1982- … )


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